皆さん、こんにちは!
ゆらら鍼灸整骨院 院長の大場功也です。この度は、当院のホームページをご覧いただきありがとうございます。
今回は、ちょっと恥ずかしい(?)私の個人的な経歴について、赤裸々にお話ししていきたいと思います。きっと、「へぇ~、院長もそんな時代があったんだ」なんて、親近感を持っていただけるはずですよ!
① 保育園時代:自由人、すでに片鱗を見せる
記憶はゼロ!なのですが、母から聞いた話は笑えます。運動会の徒競走で、みんなが一生懸命走る中、私は両親の場所を見つけて優雅に手を振りながら歩いていたそうです。「早く走れー!」という叫びは届かなかったみたいですね(笑)。すでに自由人だったようです。
② 小学校時代:野球<友達と遊ぶ時間
小学校も正直半分くらい覚えていません!ただ、3年生から始めた野球は、熱中するというよりは、「友達と遊ぶためのツール」という感じでした。真剣にやる子たちからは、そりゃあ罵声も浴びせられましたよね(笑)。でも、とにかく友達とワイワイやるのが楽しかったんです。
③ 中学校時代:ついに目覚める!でも...
ようやく野球に熱が入り出し、「負けたくない!」という相手も出現。勉強は二の次で、野球に熱中しました!ちなみに、歴史と理科、そしてモノづくりが好きという、ちょっと変わった理系(?)の片鱗も。
そして、この頃から私の**「ケガのデパート」人生がスタートします。中学2年生で、あのツラい『肉離れ』**を発症し始めました...。
④ 地獄と感謝の高校野球時代
野球の強豪校(奈良県の県立高校)に進学し、ここからが本当の地獄でした...。「あ、来るとこ間違えたな」と毎日思ってましたね(笑)。
理不尽な怒号、体罰、そして一日中続く罰走...本当に大変でした。でも、今振り返ると、あの経験が今の自分の土台を作ってくれたと心から感謝しています。精神的なタフさ、粘り強さはここで鍛えられました。
そして、高校2年までに**『肉離れ』を合計8回**もやらかしました(笑)。
「どうしてこんなにケガをするんだろう?」「どうすれば早く治せるんだろう?」という疑問とツラさが、今の仕事に繋がっているのは間違いありません。
⑤ 整形外科時代:挫折と「折れて終わりたくない」という決意
高校でのケガの経験から、整形外科で働き、リハビリや手術について深く勉強しました。患者様に貢献できるよう頑張っていましたが、人間関係に悩み、約1年で退職することに。周りに上手く合わせられなかった、私自身の未熟さが原因でした。
正直、心が折れそうになりましたが、「ここで折れて終わりたくない!」と自分を奮い立たせ、何とか踏ん張ったことで、今のゆらら鍼灸整骨院を開くことができました。
派手さはないけれど、専門家として力になります!
私の経歴は、本当に「超普通」で派手さはありません。でも、ケガの痛みを知っていること、挫折から立ち直った経験は、私の強みだと思っています。
この経験と専門知識を活かして、【身体の専門家】として、皆さんが気持ちよく日常生活を送れるように、そして好きなスポーツを思い切り楽しめるように、全力でサポートしたいと思っています!
身体のお困りごとがある時は、「院長も昔はそうだったんだな」と思い出しながら、どうぞお気軽にご相談くださいね!
これからも、ゆらら鍼灸整骨院をよろしくお願いいたします!





お電話ありがとうございます、
ゆらら鍼灸整骨院でございます。